◆“八朔inつる”の起こり◆
1970年代、都留市最大の祭りであるはずの八朔祭りのメインは夜店見物でした。
子供の頃待ち侘びていた楽しい祭り・・・人と人とが心触れ合わせた、あの祭りをみんなの手で創り出せたら・・・
そう願った先人達が1980年に起こしたお祭り、それが“八朔inつる”です。
「私達の街は私達の手で」を合言葉に三つのスローガン、
「つくろう 私たちの街」
「深めよう 郷土愛」
「広げよう 市民の輪」
をもって、八朔inつる80をスタートさせ、今年35回目を迎えます。
そもそもお祭りが「自分達の生活がより豊かであること」を願って行なわれたように、私達もまた、この“八朔inつる”が私達の生活を心底豊かにし、都留市を誇れる楽しい街にするためのものになるように、もっと地域や生活に根ざしていきたいと考えています。
この30年以上の間、舞台は次第に充実したものとなり、催しは工夫され、手作りのお祭りは盛り上がって、たくさんの人々が楽しみにして下さるようになりました。
私達“八朔インつる”が皆さんの大きな楽しみの場となり、明日の暮らしを創っていく出発点になることを願っています。
私達の街、都留市を誇れる街に自信を持って子ども達に手渡せる街にしていくために、今年も9月1日、谷村第一小学校のグランドに集い共に楽しみ合いたいと思います。
(参考資料は、八朔inつる83より)
●八朔祭りとは・・・●
古くは中国から伝わる「田の実の節句」として秋の収穫豊年を祈る農村行事として始まりました。それは農民生活とは切り離せないもので、人々のコミュニケーションをはかる最大の場でもありました。
やがて生活基盤、社会の移り変わりの中で、農民は土地を奪われ、辛い労働を強いられる中で、生活とは切り離して“まつり”を楽しみ娯楽を求めてきました。
また、民衆に金銭を持たせぬよう、貯えを使い果たせることを目的に“まつり”を奨励する封建領主のもとで、虐げられていた生活の中で唯一の楽しみであった“まつり”を村をあげて祝いました。
明治に入って、あまりに盛大になり過ぎた「谷村のおはっさく」に対して自粛の「禁令」が出されたこともありました。
昭和の初期には大恐慌(インフレ)の嵐の下、社会情勢が激化する中、一方では、人々は各自治会で浴衣を揃え、自慢の豪華な飾り幕をつけた屋台を繰り出すなど、その華やかさ、派手さを競い合い、時間も手間も費やし、持てるエネルギーの全てをこの「おはっさく」につぎ込みました。
やがて戦争の惨禍、戦後の復興期、高度経済成長期を経て生活様式の変化、文化の発展と共に、人々のコミュニケーションは薄れ、物事に対する価値観は変わり、地域社会を見つめる余裕も奪われる中で、“まつり”も創るものから見るものへと変わっていきました。
“八朔inつる”を1980年に発足させたことをきっかけに、都留市の中でも多彩な催し物が企画され始めました。大名行列も復活し、早馬町、下町の山車も復元され、貴重な飾り幕の復元も行なわれましたし、打ち上げ花火まで企画され、祭りは大きく盛り上がってきています。
私達は“八朔inつる”を通して“まつり”の原点に立ち返り、明日の都留を共に創っていく喜びと、力が湧いてくる機会にしたいと思います。